スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

“pull oneself up by one's own bootstraps”が「TRAP B」の元ネタってことにしておきましょう(“毒舌メイド”というやつについて)

2年くらい前にも書いたと思うが、例にならって「毒舌メイド」という属性があまり好きではなかった。
というのも、「メイドは主人に対して従順でなければならない」という固定観念を持っていた私としては、主人に対して毒を吐くメイドというのはそういった奉仕精神とは乖離しているように感じていたわけで。

確かにそれは正しいかもしれないが、一方で「毒を吐ける」間柄というのは、それだけ相手の閾値を把握しているとも取れるのではないかと思う。そしてそれは、相手のことを深く知っているということの示唆に他ならないよなあと思う(もちろん毒を吐いている側がある程度善良な場合に限りますが)。
何を言ってるんだお前はと思われた方は、SMを思い浮かべてみるといいと思う。あれも表面上はいたぶり・いたぶられの関係にしか見えないかもしれないが、一流のSMというものは、S側はどうすればM側が喜ぶかを考えて責め、M側もどうすればS側の嗜虐心を唆るかを考えているそうである。

そういった水面下での汲み合いというのは、言語活動として表出されないからこそ、両者のツーカーな仲というのを第三者として読み取れた時にいいなあとしみじみと思うし、そう考えると自分は、主従関係がパリっと規定されたような関係よりも、お互いのことを分かり合うだけの時間の積み重ねだとか、それで育まれた絆の描写の方が好きなんだろうなと思った。

まあ要は、サークル『平行四辺形』さんのあくいさんサイコーって話です。

スポンサーサイト

上段


下段


うーん

夢の話と「わかる」ということ

最近、環境や生活リズムの変化もあってか、よく夢を見る。
こう書くと、私が見た夢について書くのかと思うかもしれないが、そうではない。「夢の話はつまらない話」とよく言われるからだ。

何故夢についての話はつまらないのだろうか? それは私的な経験をベースにしていることがほとんどであり、「わかる」ということが決して無いからだ。
例を挙げよう。私が一番最近見た夢は「日本史のテスト勉強を全くせず、結果がボロボロだった」というものである。私は夢の中で「勉強しなかった自分」をひどく責めた。後悔した。それは、私の高校の日本史のテストは、与えられた問題集からの出題が8割近くを占めていたからであるが、そうした感覚が他人に伝わることはほぼ無いだろうし、「そうなんだ、大変だったね」と言われるのが関の山だ。
それは、他人が「同じ夢」を見ることは決して無いからであるし、「話」においては簡潔さやわかりやすさ、そして一貫性といった「わかりやすさ」が求められるものであるが、夢はそうしたものを著しく欠いているからである。
無論、それを「物語」に昇華させれば「面白く」することも可能だろうが、そうして手を加えられたものは、最早「夢」とは呼べないだろう。

ヒトは「わからない」ことによってストレスを感じる一方で、「わかる」ということに対して快感を覚える。「相手をわかる」というのは共感に他ならないわけだが、そうした感覚は、最も根源的なものであるとも言われている。
わかることによる快感は、他者が加わるとより大きくなる。他人と同じものを見て、感覚を共有することによる快感は、デート後に喫茶店で感想を語り合った時のことや、小学校でテレビを見た時のことを思い出してもらいたい(私の頃は何故か「ざわざわ森のがんこちゃん」を見る機会が多かったように感じる)。某動画サイトが発展したのも、このような感覚を重要視したからかもしれない。

一方で、「私にだけわかる」となると、優越感も加わって、より多くの快感が得られるだろう。ラストの部分を曖昧にするようないわゆる「考察ゲー」の評価が割れやすいのはこの辺が原因だと考える。
考察ゲーが考察されるためには、「考察しよう」と思われることが必要である。何を当たり前のことを、と思われるかもしれないが、ちゃんと考察されるためには、過去作やその作品のラストまでのシナリオが素晴らしいという、ある種の「実績」に基づく「期待」が必要なのである。考察をした上でわからなかったならまだしも、最初から答えが存在しなかった場合、馬鹿を見るからである。

なんかいつもFeedlyに反映されるのに2~3時間くらいラグ発生してないっすかね(ヘスティア(紐神)の(エロい方向の)同人誌は夏コミにどれだけ出るか?という話)

ヘスティアというキャラクターが人気である。

『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』(以下、『ダンまち』)という、2015年春アニメのヒロインである彼女は、ロリ巨乳・手袋・裸足・黒髪ツインテ・背中の大きく開いたワンピース(?)・ボクっ娘・デレデレ・無邪気・ヤキモチ焼き・おっぱい紐と、属性の坩堝とでも言わんばかりのキャラクター性から、Twitter・Pixivなどのサイトでは、猛烈な勢いでイラストが投稿されている(もちろん両サイトの利用者が被っていることも多いのだか)。
20150411183718287.png

「どうせすぐ消えるだろ」と猜疑的な目を向けている人も多いとは思うが、個人的には(エロい方向の)二次創作しやすいキャラクターだと思うし、夏コミでも(エロい方向の)同人誌が数多く作られるのではないかと考えている。

二次創作しやすいと考える第一の理由は、様々なシチュエーションに素早く対応可能な設定であるという点である。
C87で(エロい方向の)人気を集めたキャラクターに、『天城ブリリアントパーク』(以下、『天ブリ』)の千斗いすずがいる。
彼女が人気を集めた理由は、そのキャラクターデザインがヘスティアと同じく極めて性的だったのもあるが、『魔法』が存在する世界観ということでエロに持って行くことが容易かつ、シチュエーションの自由度が高かったという点が挙げられる。また『30円』『貧乏な客商売』など、陵辱・援助交際に繋げやすかった点も大きかったと思われる。
ヘスティアも『魔法』『貧乏な客商売』という点で共通しているが、彼女の場合、『主人公(ベル)にデレデレ』という点も大きい。純愛モノならばすぐにエロに持ち込むことが可能であるし、陵辱・NTRモノならそれだけ落差も大きくできる。
世の同人誌は、大半が28P以下である。エロをしっかりと描こうと思う場合、結びつけやすさというのは非常に重要であるし、「陵辱専」をウリにしているサークルにとっても、「持ち上げ」の過程が短いに越したことは無い。

第二の理由は、春アニメ作品であるという点である。冬アニメであれば放送終了から約5ヶ月が経つということで消費者の記憶に残りにくく、夏アニメであれば同人誌完成~夏コミ当日の間の話で大きく展開が動く可能性がある。その点、春アニメ作品は全話終了後から制作に取りかかることができ、かつ放映終了から約2ヶ月後に夏コミ開催ということで、比較的消費者の記憶にも残りやすい(こうして書くと、ソーシャルゲーム作品が同人誌のネタになりやすいのも、なるほど道理である)。

もちろん不安要素もある。
そもそもどれだけオタクに知名度があるかという点である。TwitterやPixivで人気だと上述したが、両者はつまるところ限定されたコミュニティでしかない。原作は累計150万部以上売れているそうだが、それが円盤の売り上げに直結するわけでもない。今後のアニメの評価が大きく影響してくるだろう。

また、ヘスティア以外にシコリティの高そうなキャラが『ダンまち』には存在しなさそうなのも不安である。Aというキャラは好きだが、Bというキャラが好きな場合、Aだけが出る同人誌でなく、AとBの両方が出る同人誌も買うのがオタクである。『IS』が一時期同人界隈を席巻していたのは、シャルを筆頭にメインヒロインがどれも人気だったのが大きい(個人差はあるだろうが)。『天ブリ』にもエレメンタリオがいた。
一方の『ダンまち』はと言うと、ダブルヒロインの片割れであるヴァレンシュタインはスレンダー体型かつクール系ということで、エロとは対の位置にいると言っていいだろう。リリルカはある程度の人気は出るかも知れないが、それでも少し弱い。他のキャラは尚のことインパクトが弱いだろう(OPと1話を見た限り)。
そうすると、ヘスティア単独モノが必然的に増えるであろうから、埋没してしまうのを恐れ、別作品に走る可能性も高まる。

それでもやはり、ここまで1人のキャラクターに注目が集まったのはやはり稀であるし、アニメ1話での乳揺れを見る限り、スタッフもある程度エロ要素を推していくだろうと思われる。個人的に魅力を感じるキャラクターでもあるし、今後の動向に注目していきたいと思う。(そして、このようなアクセス数の少ないブログでも彼女の話題を出すということそれ自体、“祈り”に他ならないのである)

明日また告知記事を書くと思うけど、それを抜いたら実質1記事、それも微妙にネガティブ方向の記事しかないっていうのはどうなのよって感じだし、自己顕示欲に従って更新したいタイミングで更新するのが一番だよなあと思う(真面目キャラとスカートの長さについて)

「スカートの短い真面目キャラ」というやつがあまり好きではなかった。

というのも、仮にその物語の舞台となる学園が、スカートの長さを長くさせるような校則を規定しているとすれば、「真面目キャラであるにも関わらず規則を遵守していない」となって「真面目キャラ」というキャラクター性の曖昧さに繋がるし、規定していなかったとしても、それには「キャラクター性よりもセクシャリティを強調させて売上を伸ばさんとする商業主義的なもの」の存在を感じずにはいられなかったからである。

とはいえ私がそう思っていたのは、スカートを長くさせるような校則のあるような地域・時代で生まれ育ち、「スカートが短い=不真面目、スカートが長い=真面目」という価値観が形成されたからに他ならない。
例えば80年代は「スカートが長い=不良」という風潮で、また校則もスカートを短くさせるようなものであったそうであるし、近畿地方なんかは今でも「スカートが長い=お洒落」という風潮が根強いそうである。
要するに、私のコモンセンスと作り手や作中世界のそれが違うよねというだけの話であり、何お前創作にリアリティ求めてんのバカジャネーノという話でしかないわけだけど、それでも一度染み付いた価値観は中々取れるものではない。真面目キャラのスカートを見ては心の中にモヤモヤしたものを抱えていた。

しかし、発想を転換させたら「スカートの短い真面目キャラ」というのもなかなか面白いのではないかと思う。
というのも「真面目だからこそ、周りに合わせてスカートを短くしている」、という風に取ることもできるんじゃないかと思う。
青少年期の男女はコミュニティの枠組みから外れるのを恐れる傾向にあるわけで、「周りの要請に合わせて真面目になった」真面目キャラの場合、スカートの短さはそうした背景を暗示的に強調する効果を持つようになるのではないかなと。

まあもちろん、「『ちょっと男子ー!』的な委員長タイプの真面目キャラがそのように指摘するのは、彼女の内部に他の青少年男女よりも強い信念(倫理観とかそういうの)が確立されているからであり、そのようなキャラが周囲に迎合してスカートを短くしているのはおかしいのではないか」、とも思うが、逆にそういうキャラが「よくわからないままに『委員長タイプ』というアイデンティティーを構築したものの、心の中では周囲に迎合したがってる」、という風にキャラ付けできたら面白いんじゃないかなーと思う。ギャップ萌えもすると思うし。

まあ要するに、見方次第でカリカリすることもなくなるし、好意的に解釈すればいくらでも「良いもの」になりうるわけだけど、「自分がどう見てるのか」を客観的に見つめるのは難しいよねというお話。


プロフィール

とし夫

Author:とし夫
同人サークル(会員1名)です。連絡はfrniceneo6☆yahoo.co.jp(☆は@に)までお願いします。

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
アクセスカウンター
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

Twitter
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。